営業活動で描く

あれあれ、オフィスの玄関で木下くんが肩を震わせています。
そこへコンビニ袋を手にした恵賀くんが通りかかりました。木下くんを一瞥し、その場で足を止めました。
「なんでそんなにブルブル震えてんの?」
3年先輩の木下くんですが、恵賀くんは当然のようにタメ口です。
「おまえなんかに、俺の気持ちがわかるもんか!」
と、恵賀くんを受け付けません。
「ほんじゃね〜」とあっさり立ち去ろうとした恵賀くんに、木下くんは「冷たいヤツだ!」と吐き捨てました。
振り返りつつ「めんどくさいよ、アンタは」といいながら、恵賀くんは「で、どうしたの?」と改めて聴くと、どうやら木下くんは取引先で失敗したご様子。
「憶えられないんだよ、顔が......」と自己嫌悪しています。
木下くんの話によると、商談の席に登場した担当者の上司に「はじめまして」と元気よく挨拶。
すると、その上司から「アンタとは3度目だけどね」と強い口調で指摘され、「顔も憶えられない人に、ウチの会社のことわかんのかねぇ!」と冷たく言い放たれたのです。
恵賀くんはコンビニ袋を地面に置いて、木下くんから名刺を一枚差し出させました。
「じゃ、こうしたらいいんだよ」
つづく

「you talkin' to me?」
と呟いた恵賀くんは、袖口に潜ませていたペンを右手でキャッチしました。
(このあたりの行動は、サイドバーにある『恵賀訓大...って?』を参照)
「名刺の裏には、空白があるよね。そこに相手の似顔絵を描きゃいいのさ。すると、名刺を見るたびに顔を思い出すよ。......やってみようか」
恵賀くんは木下くんに、相手先の上司の顔について質問を始めました。
恵賀「肉付きはいい方?」→ 木下「いや、痩せてる」
恵賀「髪はある?」→ 木下「ある」
恵賀「髪型は?」→ 木下「七三分け」
恵賀「鼻筋は通っている方?」→ 木下「えっと、どうだろぉ」
恵賀「おい、ハッキリしろよ!」→ 木下「とっ、通っています」
恵賀「眼鏡はかけてる?」→ 木下「かけてます」
恵賀「眼鏡の奥にみえる目は吊り目、下がり目?」→ 木下「どうだったろ?」
恵賀「おい、ハッキリしろよ!」→ 木下「吊り目でした。すみません」
先輩後輩の敬語逆転化現象を引き起こしつつ、恵賀くんが名刺に描いた顔を見た木下くんは「そうそう、コイツだよ!」と鼻息を荒げました。
「ね、もう忘れないよね」
と、恵賀くんは名刺を木下くんに渡します。
木下くんはそれを手にしながら、「この技を俺に教えてくれないか?」と声を震わせて言いました。
恵賀くんは「いいよ!」と即答すると、ただちにダッシュ。
「お〜い、待ってくれよ!」と木下くんは、恵賀くんを追いかけました。
そう、さらなる教えを請うために......。
つづく

木下くんは恵賀くんを引き留め、
「何を隠そう俺って絵が下手なんだよ。おまえみたいに上手く描けねぇよ」
と、何も隠さずに訴えました。
恵賀くんはすかさず、
「なんで上手く描かなくちゃいけないの?」
と、切り返します。
そして、「誰かに見せるために絵を描く訳じゃないんだろ。自分がわかればいいんだけなんだろ!」と語気を強めたのです。
さらに得意の説明口調になって、まくし立てました。
「相手の顔をメモするレベルであれば、まず"輪郭と髪型"のバランス、"目・鼻・口の位置関係"を記そうとすればいいんだ。大事なのは、それを描くプロセス。過程なんだよ」
ペンを木下くんの前に突き立て、恵賀くんは続けます。
「いいかい。まずは相手の顔をしっかり観察する。要するに絵として記録できるように観察することで、記憶への定着が進むのさ。だから、描くことはその行為自体に意味があるんだよ」
「わかった。わかった」と木下くんは降参しました。しかし恵賀くんは、
「なぜアンタは、上手く描こうとする。必要なのは、相手の顔を憶えることだろ。目的がすり変わっているよ。いつもそうなんだよ、アンタは!」
と、同じ指摘を繰り返しながら、木下くんにトドメを刺したのです。
「わかっていると思うけど、ビジネスシーンでは本人の目の前で描いちゃいけないぜ。あとで思い出しながら描く。この一時保管の癖付けが、相手の顔を憶える練習になる。決して顔を正確に描こうと思っちゃいけない。難しく感じてあきらめちゃう。まずは単純な形を捉えることに集中するんだ」
恵賀くんのえらそうなアドバイスを受け、木下くんがペンを手にし「じゃ、練習でおまえの顔を描かせてくれよ」と頼みました。
「よせや〜い!」と恵賀くんはクルリと背中を向け、「ボクはモデル代が高いよ」とどう受け応えてよいかわからないメッセージを残し、その場を去ったのです。
そう、ビリー・ジョエルの『ストレンジャー』の口笛パートと共に......。
第2話おわり