プレゼンで描く
あらあら、オフィスの隅で松村くんが膝を抱えて悩んでいます。
「おい、どうしたんだい?」
近づいてきた恵賀くんは、2年先輩である松村くんに完全なタメ口。
基本的に恵賀くんは、5年くらい先輩であってもタメ口です。
「今度、黒田取締役の前でプレゼンがあるんだ。オイラ、緊張して支離滅裂になっちまうんだよ」
松村くんは社内で唯一、自分のことを"オイラ"と呼びます。
「いいじゃん」
恵賀くんは適当に流そうとしたところ、
「な、恵賀。プレゼンでシャキンとする方法ってある?」
涙目の松村くんは恵賀くんに尋ねました。
「ないねっ!」
恵賀くんはモノの見事に言い切りました。
......が、しばらくして「まてよぉ」と何かを閃いたのです。
つづく
恵賀くんは、松村くんに「そこを動くなよ!」と吐き捨て、姿をくらましました。
しばらくして、なにやら紙きれを手に戻ってくると、
「こうやってプレゼンのレジュメの到る所に、笑顔を描いておくんだよ」
と松村くんにその書面を突きつけたのです。
イラストと共に『スマイルを忘れずに!』というメッセージが記されている1枚のシート。
それはまぎれもなく、松村くんのプレゼン資料です。
「こんなレジュメが手元にあってプレゼンしたら。......ね、気持ちが落ち着くでしょ」
続けて恵賀くんは声を落とし、
「プレゼンでは"うまく伝えなければ"と話す内容ばかりに意識が集中し、その場での自分の見せ方にまで気が回らない。ところが聴き手はプレゼンの中身だけでなく、目の前にいる話し手の様子まで観察している。多少、話術が不十分であっても、余裕のある表情を浮かべ自らを見失いさえしなければ......」
と説明口調でまくし立てたあと、
「ヤツらは喝采する!」
とひときわ大きな声で、会社の役員を"ヤツら呼ばわり"しました。
さらに恵賀くんは、得意げに続けました。
「このスマイルはね、笑顔を忘れることなかれ。そしてプレゼンしている自分へのエールとして受け止めること! わかったぁ?」
「あぁ、わ、わかった。......ところで、それってオイラのパワポ・データだよな」
松村くんの顔は曇っています。
「うん、そうだけど何か?」
「......ってことは、オイラのパソコンを勝手にさわって、印刷したのかよ?」
恵賀くんは舌打ちをし、
「小さい、小さい。あんた、人間が小さいよ!」
と先輩である松村くんをあきらかに見下して、その場を立ち去ったのでした。
松村くんはつぶやきました。
「確かに恵賀の言っていることには、一理あるかも......」
松村くんにしては機敏に立ち上がり、「お〜い、待ってくれぇ!」と恵賀くんの後を追ったのです。
そう、さらなる教えを請うために......。
つづく
わずか5メートル走っただけなのに、息を切らす松村くん。
恵賀くんは歩みを早め、もう少しだけ松村くんに追いかけさせました。
「ちょっと待ってくれよぉ!」
咳き込む松村くんに、恵賀くんは「やれやれ」という表情で振り返ると、さぁ講釈の始まりです。
「プレゼン実施において手元資料がある場合は、そこに台詞を書いておくだけじゃなく、その場での自分の仕草や表情を簡単な絵に表しておく。文章で指示を書くのではなく、ひと目でサッとわかる絵にしておくさ!」
と、恵賀くんは手元へのチラ見ジェスチャーを繰り返しました。
「こんな風に、サクッと目をやり、前を向いて話す。サクッとね!」
「絵はなるべく左側に描く方がいいよ。文字が横書きの場合は、目の動きが左から右へ流れるため、先に自分の見せ方に注力できる。まず表情や姿勢、仕草を正してから、伝える内容へと入っていけばいいんだ!」
と、恵賀くんは背筋を伸ばしたり、笑顔を作ったりを繰り返しました。
「どう? いかすだろ!」
松村くんは「オイラ、やるよ!」と大きく頷き、自分のデスクへ勇んで行きました。
恵賀くんはその姿を見送りながら、つぶやきました。
「小さいヤツだと思っていたけど、ほんの少しだけ大きくなったな......」
と、ビリー・ジョエルの『ストレンジャー』を口笛で吹きつつ、その場を去るのでした。
第1話おわり
おやおや、デスクで思い切りため息をつく八木係長がいます。
それを目撃した恵賀くんは、おもむろに近づくと同時に「おい、どうした?」と口にした後、「......んですか?」と敬語を取って付けました。
「君に話しても仕方ないことなんだよ」と一旦返事した後、八木係長は独り言のように「どうしてボクのプレゼンって、皆を惹きつけられないのかなぁ」とはっきり言葉に出しました。
恵賀くんは「八木係長のプレゼンを聴くと、みんなどうなっちゃうの?」と聴いた後、「......んですか?」とまたもや同様の処理です。
八木係長は「ひと言でいうと皆が寝てしまうというか、意識がなくなるというか、うつ伏せになって腹式呼吸を始めるというか......」と睡眠についていろんな表現を駆使しました。
「確かに八木係長のプレゼンって抑揚がなく一本調子で、スライドシートに書いていることをただ単に台本のごとく読んでるだけですものね」
と、恵賀くんは八木課長の悩みに同意しました。そして、
「でも、ご心配なく。ちょっとした工夫で、八木係長のプレゼンから睡魔を退散させられますよ」
と、ニコリと笑うのでした。
八木係長は「君ごときに何ができるんだ!」と、何やら恵賀くんの言葉に引っかかった様子でしたが、「ま、とりあえず述べたまえ」とメモ帳を取り出しました。
「仕方ねえなぁ」とあからさまな反応を見せながら、「それはね......」と八木係長のノートパソコンに顔を近づけたのです。
つづく
「ほほう〜」と、八木係長のパソコン画面に表示されているプレゼンシートを眺めながら、薄ら笑いを浮かべる恵賀くん。
童顔なくせに、なんだかイヤな感じです。
「このシートの中で、どの情報が一番重要なの。......ですか?」
恵賀くんの質問に八木係長は、「まだできてないんだけど、右下あたりに図形を貼ろうとしているんだよ。ま、手っ取り早く、何かこうバーンと見せたいんだよね」と、両手を使って"こうバーン"という動きを表しました。
「簡単ですよ。それはまさに今の時点で、作業を止めることでしょう」と恵賀くんは、パソコン画面を小指で突っつきながら、「ここには手をつけずに、空白にしておけばいいんです」と言い切ったのです。
「え?」と八木係長は不安げに聴き返しましたが、「ボクを信じて。このまんまでいいの!」と恵賀くんは譲りません。そして......
「ここはプレゼンを行いながら、直接描くところなんです!」と、声を高めました。
恵賀くんの主張は、このプレゼンシートをホワイトボードに投影し、プレゼンをしながら記述されていない情報をその場で描くというやり方です。
プレゼン・ソフトの処理だけに頼らず、聴衆の前でプレゼンターの八木係長自身がパフォーマンスを見せるのです。
「確かに聴き手の注目度は高まるかも......」と、小さく頷く八木係長。
静かにその場から離れようとする恵賀くんを、「もう少し詳しく教えなさい」と、明らかな命令口調で静止させました。
そう、さらなる教えを請うために......
「なぜみんなはプレゼンの出来不出来を、パワーポイントの完成度に頼るんですか?」と、恵賀くんは八木係長に詰め寄りました。
「それが一番わかりやすいからだろ」と、まっとうな反応をする八木係長へ被り気味に、「だからこそ、いま手描きなんですよ!」と恵賀くんは拳を握ったのです。
「ホワイトボードは、会議の議事を取るだけの役割しか果たせませんか?」と恵賀くんの問いかけに、「他にも使い方あるんじゃないか」と応える八木係長。
「そう、プレゼンでのスクリーンにしてもいいんですよ」
恵賀くんは八木係長に声を重ねながら、拳を差し上げました。
そして、
「もっともアピールしたいところは、その場で描き込むんですよ!」
と、恵賀くんは瞳をキラキラさせて微笑むのです。
しかしすぐに表情を戻して、説明口調に早変わり。
「まず、ホワイトボードをスクリーンに見立てる。そこへプロジェクターからデータ投射。プレゼン開始。そして重要な箇所になると聴衆に向かってひと言、『では、ここに描いてみましょう!』と予告する。すると、ターゲットは顔を上げ、グイッと前を見つめる。ハイ、これで惹きつけられた訳だ!」
その勢いに、八木係長は「うん」と首を縦に振りました。
さらに、恵賀くんは無表情で、
「何も表示されていないプレゼンシート。聴き手は不安がる。そこへおもむろに図を描く。色を付ける。文字を加える。そして、......味が出る」
と同様のメッセージを繰り返し、最後にニカッと表情を崩したのです。
「直接描くことは、パワーポイントのアニメで見せる以上の効果がある。それだけじゃない。なんと、プレゼンシート作成に充分な時間が取れないときにも、この方法は使えるだろ。......わかるな、八木」
と、最後はとうとう呼び捨てです。
そんなことなど気に障ることなく、「よしっ、その方針で行こう!」とマウスを握り直す八木係長。
その背後から、ビリー・ジョエルの『ストレンジャー(口笛パート)』と共に、恵賀くんが遠ざかっていきました。
第3話おわり
ありゃ、ありゃ......。
恵賀くんは「こりゃ、ダメだぁ」と、下市くんのプレゼンテーションを聴きながらため息をつきました。
何がダメかというと、視線はスクリーンと手元資料を行き来するだけ。語り口調は一本調子です。
多くの関係者に向けて新規プロジェクトを提案するという重要なプレゼンなのに、このレベルではうまくいくものもダメになってしまいます。
ただ厄介なのが、下市くん自身は手を抜いているわけではなく、精一杯にプレゼンをしているつもりであることです。
しかし、聴いている者は誰一人、下市くんの説明に対して前向きな反応を示していません。携帯をのぞき込んだり、資料に落書きしたりと、皆はあきらかに集中力を切らしています。
もし下市くんの御両親がこの状況を見たら、大いに嘆いて自分の息子を演壇から引きずり下ろすことでしょう。
恵賀くんは分析しました。何がよくないのか......と。
「ふん、ふん。なるほどね」
その原因をすぐに特定し、ウンと頷きました。
とにかくひどいのが、スクリーンに投射されるプレゼン・シートの出来映え。
文字だらけのシートなのです。延々と文章が続くスライドを見ながら、下市くんがただ単にそれを読んでいるだけなのです。
そう、プロジェクターに映るデータは下市くんの台本になっていたのでした。だから視線もそれに釘付け状態です。
恵賀くんはついに黙っていられなくなり、席から勢いよく立ち上がりました。
そして下市くんへと近づいて行ったのです。
つづく
恵賀くんは静かに下市くんの肩に手をやりました。人差し指を立て、下市くんが振り向くと同時に頬へ指が突き刺さります。
思った以上にきれいに刺さったと、恵賀くんの表情は緩みました。
しかし、ここは喜んでいる場合ではなく、下市くんに進言しなくてはいけません。
「あんたのプレゼンは見てられないよ。なんだい、その一方向な視線と棒読みは......!」
プレゼン中の下市くんを強引に制止させる恵賀くん。
一瞬、何が起こったのかわからず戸惑う下市くん。
二人を見つめる聴衆は、その様子に固唾を飲んでいます。
「あんた、映画を観るかい?」
唐突に、恵賀くんは下市くんへ質問をしました。
「それもウエスタンなんて、どうだい?」
下市くんはどう対応していいのかわからず、固まっています。
「懐かしいねぇ、ジュリアーノ・ジェンマ。それにフランコ・ネロ」と、恵賀くんはマカロニな路線で攻めてきました。
「ラストシーンのカメラアングルを、あんた想い出しなよ。そう最後の決闘シーンさ......。主人公の顔のアップ。そしてカメラがロングに引いて、相手との距離を捉える。その時間は止まっている......」
ひと息呼吸おいて、恵賀くんは低音で決めました。
「このカメラワークこそ、プレゼンテーションなんだよ」
口が開いたままの下市くんに、恵賀くんは続けます。
「顔のアップにあたるのが、プレゼンでのトーク。そして俯瞰的なシーンを見せるロングショットが、スライドの役目なのさ」
そう言い残して、恵賀くんは自席に戻ろうとしました。
「どういうことなんだよ。それだけじゃわかんねぇよ、恵賀!」
その声は下市くんではなく、二人を見守っていた聴衆からでした。
どうやら下市くん以外が、その説明を聞きたがっているようです。
さらなる教えを請うために......
つづく
「わかったよ、みんな。ボクが説明してやるよ」と恵賀くんは、プレゼンしていた下市くんを脇に追いやり、聴衆の正面に立ちました。
そして早速、お得意の説明口調で語り出します。
「プレゼンターとスライドとの関係は、左脳と右脳。おっと、これはロジャー・スペリーの理論だよね。全体イメージをつかむ右脳部分には、スライドを使って俯瞰的な情報を与えること。そして直列的な処理を得意とする左脳には、きっちりと言葉にまとめて説明していく」
恵賀くんは、いつの間にか下市くんのスライドを消去して、自分のデータをスクリーンに投影していました。
「各々方、これをご覧あれ」と、スクリーンを指し示します。
「スライドに描く情報は、そこで伝えるべき対象を全体的に捉えたものなんだ。文字情報だったら論理図解にまとめ、数値ならグラフなんかにしてみる。聴衆にとっては目から入る情報が先行するから、視覚化によってシートの概要を大づかみしてもらえるよね。そのためにスライドを使うのさ」
恵賀くん越しのスクリーンには、聴衆の目が釘付けです。
「次にプレゼンターが話すポイント。それはこのスライドにある重要な箇所を具体的にはっきりとフォーカスしながら、自分をメディアとして表現することなんだ。理路整然と説明しながらも、自分の考えや想いを言い表すなど聴き手の感情に向けたメッセージを送ることも忘れないように......」
恵賀くんは咳払いを挟んで、少し間を空けました。
「プレゼンターのパーソナリティを通した具体的な情報と、スライドを用いた全体像とのコラボレーション。これが映画のカメラアングルのごとく、アップシーンとロングショットにたとえるナイスな比喩と相成ったわけさ」
そう言い残し部屋を出る恵賀くんは、デビュー40周年のビリー・ジョエルに敬意を払いながら「ストレンジャー」の口笛をクールに吹くのでした。
第7話おわり